こんにちは。伊勢原教室の清水です。

日々、小中高生と接していると、こういう言葉をよく聞きます。
「勉強って、やる意味あるの?」
「勉強なんて、つまんないし、めんどくさい」
「この知識って、将来使うの?」
「勉強なんてしてないで、のんびりしてたい(遊んでいたい)」

確かに、学校の勉強では、将来必要でなさそうなことや、やる意味のなさそうなこともたくさん学び、面倒くさいこともたくさんあります。

しかし、今回は、学校の勉強は意味があるのかないのか、役に立つか立たないかという側面からは考えず、勉強は人間として“成熟“するために行うということを考えてみたいと思います。

勉強は“成熟“へとつながるのか。

私は、そう思います。

それは、“成熟“とは、面倒くさいことも行い、そこからなにかを得ていく過程であると思うからです。

小中高生は、進んで勉強したいわけではない。やらないで済むのであれば、できれば勉強なんてしたくない。
10代の学生であれば、当たり前に思うことです。
好きなことをしていたいし、疲れるし、なにより、面倒くさい。

しかし、勉強に取り組む子は、ここと向き合っています。
未来の自分のために、より良い将来のために、自分のやりたいことだけやっていてもだめなんだと、うっすらと理解し、向き合っている。

この面倒くさいことを行い、そこからなにかを得ていく過程に、“成熟“の芽が潜んでいるのだと思います。

この面倒くささは、自分のためとなり、社会のためとなることなんだと、考え、信じ、打ち込んでいくこと。
これが、10代の成長期には必要な経験であると思います。

中学校の中間テストまで、あと1週間。
生徒の皆さんは10代という難しい時期を過ごしてますが、勉強を“成熟“への機会と捉え、一歩ずつ前進していってほしいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。